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地方交付税交付金をはじめとする新しい地方税・財政制度が生まれたのである。
Sの発想は、多くの日本人にごく当然のものと受け入れられた。
現行憲法をアメリカの押しつけだという日本人はいるが、現在の地方税・財政制度を押しつけだという日本人を私は知らない。
しかし、地方が他の地方の税を分配され、それを本当に有効に使うことができるものだろうか。
日本における公共支出の効率低下も、Sの地方税・財政制度によって、税の負担と受益の関係が禿離していることに根本的な原因があるのではないだろうか。
ニューディールは日本の公共支出の効率低下をもたらしたのである。
最近になってやっと、補助金、交付税、地方への税源委譲の3位1体改革が必要であると議論が出てきた。
日本の少年法も、ニューディールの生み出したものである。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)民間情報局公安部行政課のB・R主任は、日本政府に少年法の改正を要求した。
戦前の日本においても、もちろん少年保護の思想はあったが、Rの思想はパレンス・パトリエ(国親思想)にもとづくものだった。
パレンス・パトリエとは、本来ならば親によって与えられるものを、国が親の代わりとして与えなければならないという思想で理解されるようになった。
この思想の背景には、資本主義勃興期のあからさまな搾取の犠牲となり、都市化のなかで遺棄されていた子どもたちの姿があり、大恐慌のなかで、それが再現されたことへの怒りがある。
戦後の荒廃した日本で、孤児となった子どもたちがさまよう姿は、Rにとって、まさにパレンス・パトリエ思想の押しつけを急務とするように見えたことだろう。
Rにとって少年法とは、社会的に不利な条件にある子どもたちを保護し、矯正するためのものであって、少年には未来があるから罰しないというような目的のために使われるとは予想もしなかったことだろう。
自分に責任のない、大人たちの起こした戦争によって孤児となり、些細な罪を犯した少年に寛大であり、矯正のために国が力を尽くすべきだという考えに反対する人はいない。
しかし、社会の安定と繁栄によって客観条件も変わっていく。
アメリカでも、そうである。
パレンス・パトリエ思想によって、むしろ大人よりも長期の拘束を受けることもある。
隣家の婦人にいたずら電話をかけた少年が、大人であれば50ドル以下または2ヵ月以下の懲役ですむところを、子どもだという理由で6年間少年院に収容するという処分がなされた。
これに対して、連邦最高裁は、67年、裁判を受ける権利を奪ったとして、この処分を違憲とした。
すなわち、戦後のアメリカにおいては、パレンス・パトリエ思想は、いらぬおせっかいによって子どもの正当な権利を奪うものとされたのである。
日本の状況は、むろんアメリカとはちがう。
しかし、戦後の荒廃した日本の不幸な子どもたちを保護するためになされた法改正が、未成年であるがゆえに罰されないという法律になるとは、だれも予測できないことだったろう。
第4に、大恐慌が終わるにさいして、マネーサプライの劇的な上昇があったことである。
大恐慌に学ぶべき6つの教訓大恐慌の、日本の大停滞への教訓は明らかだ。
教訓の第1は、日本の90年代不況も、アメリカの大恐慌と同じように、貨幣的ショックによって起こったということだ。
80年代末の年率13%のマネーサプライの増大から、90年代はじめのマイナス1%の減少と、往復で14%という大きな貨幣的ショックを与えたことが90年代以降の停滞をもたらした。
大恐慌の貨幣的ショックも、年率5%の伸びからマイナス18%の減少と、往復で23%のショックであった。
第二に、実質賃金の高止まりがある。
日本はこれまで、ボーナス制度によって名目賃金の伸縮性を保つことが可能だった。
しかし、この制度は、物価が毎年2〜3%で上昇することを前提にして機能するものだった。
第三に、債務契約は名目でなされるものであるから、名目賃金を下げて実質賃金を低下させても、物価が下落して実質債務が拡大してしまい、問題は解決しないということである。
これは調整インフレ論ではない。
これまでと同じインフレ率を維持すべきだという議論である。
アメリカの大恐慌は貨幣的収縮ショックによって生じた。
したがって、貨幣的拡大ショックを与えることによって、アメリカ経済は急速に回復した。
しかし、経済は工学的モデルではなく、人びとの思いによって成立しているものである。
経済へのさまざまな介入がなされていた。
大恐慌からの脱却時に、財政政策はほとんど変化していなかった。
これは、財政政策が大恐慌を引き起こした主要な要因でも、大恐慌から脱却させた主要な要因でもなかったということである。
第6に、銀行部門は決定的に重要ではなかったということである。
銀行倒産は大恐慌を深刻なものにした一因であったかもしれないが、決定的な要因ではなかった。
銀行貸し出しの伸びとはかかわりなく、マネーサプライの上昇とともに大恐慌は終わったのである。
大恐慌下では、金利は低下し、ハイパワードマネーは上昇していたにもかかわらず、マネーサプライは急減していた。
しかし、ルーズベルト大統領が金本位制から離脱し、なんとしてもデフレから脱却するという決意を見せ、ハイパワードマネーを拡大させるにともなってマネーサプライは劇的に上昇した。
第5に、大停滞は、これまで述べてきたように、また、1930年代の世界大恐慌と同じように、金融政策の誤りで起こった。
バブルつぶしのための金融引き締めが効きすぎて、日本経済はデフレ状況に陥ってしまった。
物価の下落は、さらに物価が低下するだろうというデフレ期待を生み、すべての支出を先延ばしさせることになった。
名目賃金の下方硬直性と衝突して、実質賃金を高めることになった。
実質賃金の上昇は、雇用、生産を削減し、利潤を圧縮した。
利潤の圧縮によって、設備投資も停滞した。
設備投資の低迷は資本の蓄積を停滞させ、成長率を長期的に低下させる。
投資の減少は総需要を減退させ、利益率の圧縮は金利の低下を招いた。
物価の下落は実質の債務額を上昇させ、デフレでなければ健全に経営されていたと思われる企業までをも危機に陥らせた。
実質債務の増大によって、企業は製品や資産を売り急ぐこと。
以上が、90年代以降、現在まで続いている日本経済の大停滞の本質である。
さらに、停滞に対処するためとして採用された非効率な政策が、大停滞を悪化させることになった。
公共投資の増大や政府系金融機関の貸出額の増額は、その程度を判断することは困難であるにしても、日本経済の長期的な効率を引き下げたことはまちがいないだろう。
物価下落期待を反転させ、かつ、賃金の上昇を抑制すれば、経済は劇的に回復する。
これは、30年代の世界大恐慌の経験からも明らかである。
多くの国で、マネーサプライおよび物価の回復とともに生産が劇的に回復しているからである。
日本の大停滞についても、これ以外の説明ができるとは思えない。
これを「大停滞の金融的説明」と呼ぶことにしよう。
銀行の不良債権を強調する説明も、この金融的説明の範鴫にあることを余儀なくされ、物価はますます低下した。
膨大な借り入れを行っている企業の危機は、銀行の危機でもある。
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